【奥伝を頂いて】小林稲水

 この度、奥伝昇伝のお許しを頂き有難うございます。板倉穣水先生は目が不自由で体調が悪い時でも横浜から大潟村まで「2泊3日」で1年に3回は御出下さり、秋田空港から大潟サンルーラルホテルまでは片倉絲水様が送迎して下さいました。厚く御礼申し上げます。
私が琵琶を始めた思いつきは、身体の具合がおかしく思い、病院で診察した所、「貴方は脳梗塞です。半身不随か言語障害を覚悟して下さい」との事でした。私は車椅子で過ごし廊下の手摺につかまってよろよろ歩いていると、先生は「退院して自家生活したほうがリハビリになりますよ」と言われ退院しましたが、新しい記憶が出来ない事がわかりました。
 私は大潟に来て詩吟を習っており、板倉斗南城先生が秋田市に琵吟会を作り年に1度、発表会があり琵琶は何となく心に残る感じで聞いていました。両手を動かし声を出すには、琵琶も良いかなあと思い習って見ようかと思ったときは斗南城先生はいませんでした。琵琶の手解きは吉岡悠水先生です。2年目からは板倉穣水先生に習い現在に至っています。琵琶は私の健康と遠くの大勢の皆様と楽しみながら今後の生甲斐になればと思っております。