【時々の初心忘れずに】加藤雨水

 この度、教師免許を許されました。これも故中里宴水先生をはじめ、鶴岡支部の先生方、錦心誌を通してご指導いただいた方々、多くの方々のご指導のおかげと心より感謝申し上げます。
退職5か月後に主人を、それから6か月後に実母を失い、後悔に苛まれる中、知人の紹介で出会った琵琶でした。
 琵琶との格闘の日々が、一人残された時間を生きる覚悟を作ってくれたように、今、思えます。
 お断りできずに始めた琵琶でしたので、奥伝申請のお話には躊躇し、2週間、考えさせていただきました。
 私の住む近くに修験の山、羽黒山があり、参道入口の石作りの大鳥居から神域ですが、多くの宿坊、郵便局、学校、医院、商店等々の町並みが続き、その先に随神門の赤鳥居があります。
 ここからはまさに神の領域。一の坂、二の坂、三の坂と険しい石畳の杉並木が続きます。奥伝とは私にとって、まさにこの赤鳥居を潜るようなもの。うろうろと遊んでいられる俗世界から、終わりない芸事の世界に、足を踏み入れることだと考えていたからです。
 奥伝をいただき、本名の時雨から一時を取り、雨水と命名。「雨垂れ石を穿つ」「物語の心が、聴いてくださる方のここに沁むように語りたい」との思いを込めてでした。
 皆伝をいたいただいた時は、ただただ師のように弾きたい、語りたい。一歩でも半歩でも近づきたいとの思いでした。
 その頃、「門の前までは、師が導いてくれる。しかし、一旦門を潜ったら、導くのは自分」という中国の諺に出会いました。頭の片隅に常にありましたが、大きな師の後姿を追いかけるだけで精一杯の私でした。
 教師申請のお話をいただき、1つの到着点に、と同時に出発点にしようと思い立ちました。そして今。片田舎のこととて、弟子が出来るとは到底思えません。自分を弟子とし、今まで頂いたご指導を振り返り、また忘れがちだった時々の初心を思い起こし、自身を指導していこうと考えています。
 出来ない出来ないと年を重ね、花の命は短くて苦しき事のみ多かりきです。琵琶が好きでというよりも、出来ないから続けているような私です。この辺で脱皮する必要がありそうです。
 このようにまだまだ未熟者です。
 みなさま、今後ともご指導、よろしくお願い申し上げます。