錦心流について

私共「錦心流琵琶 全国一水会」は明治39年創流の、流祖永田錦心先生の衣鉢を継承する琵琶演奏家の団体です。北海道から四国まで31支部、約300名の会員が琵琶の妙音と語りを次世代に繋ぐべく、日々芸の練磨に励んでいます。私共「全国一水会」ではこの貴重な芸術の継承を目指し、演奏会の開催や教室の開設、また錦心流の基本を体系的にまとめた教材を準備しておりますのでお気軽におたずねください。

琵琶について

琵琶とは扇状の撥で弦を弾き演奏する木製の弦楽器、及びその楽器を用いて物語を語る邦楽のジャンルをさし、奈良時代(8世紀)に日本へ伝来したと言われております。現在琵琶には、「楽琵琶」「盲僧琵琶」「平家琵琶」「薩摩琵琶」「筑前琵琶」の5つの種類が存在しております。

薩摩琵琶について

戦国時代に薩摩の名君 島津しまづ忠良ただよし 公が武士の教育用として自作の教訓歌を 中島常楽院なかしまじょうらくいん の盲僧 淵脇ふちわき寿長院じゅちょういん に作曲させたものが薩摩琵琶の起源とされ、そこから「正派せいは」「錦心流きんしんりゅう」「にしき」「鶴田流つるたりゅう」の4つの流派が生み出されました

錦心流について

薩摩琵琶のうち、流祖 永田ながた錦心きんしん (本名 武雄たけお)先生が明治39年に創流された流派が「錦心流」です。宗家・永田錦心先生は、明治37年薩摩琵琶の音色に魅せられ、 肥後ひご錦獅きんし 師に入門されましたが、すぐに師匠も驚く才能を発揮され、明治39年民族の持つ哀愁を取り入れた「錦心流琵琶」を創流、宗家として流派の発展と後進の育成にあたられました。爾来、43歳で夭折される短い間に、琵琶界における錦心流の存在を確固たるものとして、全国で8千名の門下を擁する一大流派に育て上げられました。流祖没後の錦心流は、永田錦心先生の生前の意向もあり宗家制度を採らず、流派・一門の組織「一水会」を中心に少数の高弟(錦号者)の合議による「理事会」と都道府県単位による「支部」制度により維持運営が図られてきました。宗家制度を採らなかったことにより、錦心流を標榜しながらも一流一派の分立を生み出す要因にもなりました。それはまた一面では、流派多様性の活力源にもなっています。

流祖・永田錦心について

永田錦心先生は明治十八年、芝 虎ノ門に生まれました。幼時より絵画に強い関心を持ち、文部省の展覧会に出品し入選数回、その作品11点は箱根阿弥陀寺で保管されています。一水会の語源は流祖の苗字、永田の「永」より付けられました。一門長く水魚の交わりの意にも通じ、奥伝授与の「水号」が授けられます。当会は明治四十二年四月五日、第一回演奏会を神田和強楽堂で開催。以降毎年回を重ね、平成二十一年創流百年錦心祭を挙行しました。天才夭折とか昭和二年十月三十日、四十三歳をもって短くもまた輝かしい生涯を閉じられました。

流祖・永田錦心先生