【奥伝を頂いて】吉田咲水

 『在原行平様が何のお咎めやら須磨の浦に流されておられましたそうな。都人故に都が恋しゅうて、余りの恋しさに海辺に出てみますと渚に舟板が流れついておったと申します。行平様はその舟板を拾って冠の緒を張り、岸部の蘆を切って指に嵌め、かき鳴らしたのがこの琴の始まりで御座いますそうな。哀れにも美しいいわれで御座いますなあ。』(宮尾登美子『一絃の琴』)
中野淀水先生のお稽古を始めて見学させて頂いた時、ふとこの一節を思い出した。目の前で琵琶の演奏を聞いている。それなのに、一絃琴の由来を思い出すのは、なんとも不思議なことである。間近で聞く琵琶の音は、力強く迫力があったが、その中にもの悲しさを有していた。それを表現しようと言葉を探っていた時、漂泊の身の上で作られた一絃琴を思い出したのだ。
 お稽古の通うようになってから、中野先生がこのような説明をして下さった。「琵琶は原始楽器で、調子を合わせても弾いているうちにすぐに音が下がってしまう。一番近い楽器は実は三味線ではなく、一絃琴である。」あの時、一絃琴を思い出したのは偶然ではなかったのだ。自分の感覚が間違っていなかったことが嬉しく、いつか自分も、もの悲しい美しい音色を出したいと強く憧れるようになった。
 しかし、それは難しいことであると、弾法の練習に入ってから思い知った。お稽古中、先生の弾かれる弾き出しに聞き惚れてしまうことがある。先生のような音色を出したい。だが、ユリを付ける等工夫をしてみても、そこには大きな違いがあるのである。
 今回、昇伝審査を受けることとなり、先生に何度も録音して頂いたが、音色にこだわるどころではなかった。間違わないように弾くのが必死で、そこまで思い至らないのだ。昇伝審査によって、日頃の練習不足と技量の乏しさを実感することとなり、ようやく自分を知る第一歩を踏み出すことができた。漂泊に限らず、様々な思いや生き方が琵琶の曲には込められている。それにふさわしい音色を出すことができるように、これから精進していきたい。
 この度は、奥伝のお許しを頂き、ありがとうございます。練習不足の私をいつも根気強くご指導下さる中野淀水先生、温かく声をかけて励ましてくださる頌水先生をはじめ、大阪支部の先生方、諸先輩方に深く感謝申し上げます。今後ともご指導ご鞭撻を賜りますよう、お願い申し上げます。